ニュース

研究成果

新しいスピン流生成現象を発見し磁場無しで垂直磁化反転を実証 ─ データ記憶素子のさらなる高速化と低消費電力化に期待 ─

【発表のポイント】

  • 高品質な酸化ルテニウム(RuO2)のルチル結晶構造と反強磁性(※1)磁気秩序によって発現するスピンスプリッター効果に起因したスピン流(※2)生成原理を発見
  • 従来のスピンホール効果(※3)では実現不可能な全方位スピン偏極スピン流の生成により外部磁場不要で垂直磁化(※4)の反転を実証
  • 情報高密度化に有利な垂直磁化HDDMRAMの高効率動作への応用に期待

概要

近年の目覚ましい高度情報化に伴い、高密度情報担体や、高効率情報処理の実現は喫緊の課題となっています。なかでも電力供給がなくても記憶内容を保持できるハードディスクドライブ(HDD)や磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)などの磁気デバイスの高性能化は重要であり、これまでにスピントロニクス(※5)では様々な取り組みがなされてきました。

東北大学大学院工学研究科の輕部修太郎助教、新田淳作名誉教授らは、ルテニウム酸化物(RuO2)の反強磁性磁気秩序によって生成される全く新しいスピン流生成現象を発見し、さらにそれを応用することで、外部磁場を全く必要としない垂直磁化反転を実証しました。従来のスピントロニクス技術では垂直磁化反転に外部磁場のアシストが必要であり、応用上の大きな壁となっていました。本研究成果により、外部磁場無く効率的かつ、簡便なデバイス構造で磁化反転動作が可能となるため、情報保持や情報処理を担う磁気デバイスの高性能化が期待されます。

本研究成果は2022年9月19日付(米国時間)で米国の科学誌「Physical Review Letters」でオンライン公開されました。

研究背景

物質中の電子の持つ「電荷」と「スピン(磁性)」の自由度を積極的に活用するスピントロニクスでは、スピンのみの流れを指す「スピン流」が重要な概念として認識され、研究が盛んに行われています。スピン流は一般的に、量子相対論的効果の一種であるスピン軌道相互作用(※6) によって、白金やタングステンといった重金属中に電流を流すだけで生成することが可能です。これはスピンホール効果としてスピントロニクスでは広く知られている現象です。スピン流は磁気の流れであることから、磁性体中の磁化に有限なトルクを与えることが可能であり、スピン流を活用することで垂直磁化膜の磁化反転が既に実証されています。これは情報担体の情報の書き換え動作に相当することから、磁気デバイスへの応用が期待できます。一方で従来のスピンホール効果で生成されるスピン流は印加電流方向によってスピン偏極方向が決まるため(図 1(a))、磁化を駆動するトルクは発生するものの、弱い面内磁場のアシストがないと磁化反転を誘起することはできませんでした。スピン流でも磁化反転ができるようになった点は大きな進歩でしたが、結局そのために外部磁場の助けが必要になってしまうというジレンマがありました。

研究成果

東北大学大学院工学研究科の輕部修太郎助教、田中貴大氏(博士前期課程)、好田誠教授、新田淳作名誉教授らは、ルテニウム酸化物(RuO2)を用いることで、スピン流のスピン偏極方向に制約を受けない、反強磁性磁気秩序に依存した非従来スピン偏極スピン流を発見しました(図1)。 本スピン流についてはRuO2中の反強磁性磁気秩序と、そのルチル結晶構造(※7)由来の結晶場によって形成されるスピンスプリットバンド構造(※8)によって生成され得ること(スピンスプリッター効果(※8))が理論的に予想されていました。前述のスピンホール効果ではスピン依存の電子散乱を引き起こすために必ずスピン軌道相互作用を介す必要がありましたが、本スピンスプリッター効果は純粋な反強磁性磁気秩序のみに依存し、スピン軌道相互作用を全く必要としないため、スピン流生成機構の新概念と言えます。

研究グループは、RuO2薄膜結晶の高品質化を実現し、(100), (101), (001)面など様々な面方位によってスピン流生成現象を詳細に調べました。その結果、RuO2 (101)面の場合では、電流印加方向を𝑥方向とした場合に、𝑥,𝑦,𝑧方向全方位に対してスピン偏極したスピン流が生成可能であることを明らかにしました(図 2)。さらに、電流印加方向と、磁気秩序方向(ネールベクトル(※1)方向)の相対角によって、異方的なスピン流を生成することも分かりました(図 2)。これらの実験結果は、理論で予想されている振る舞いとよく一致しており、反強磁性磁気秩序を利用した新奇スピン流生成現象を実験的に発見しました。

本スピン流を活用することで、これまで課題となっていたスピン流誘起磁化反転現象に対して活路を見出すことが可能となります。HDDやMRAMなどを高密度化するために有利な垂直磁化膜に対して、特に𝑧方向にスピン偏極したスピン流によって効率的に磁化反転を行えることが期待できます。本研究で発見したRuO2(101)面のスピンスプリッター効果によって生成される𝑥,𝑦,𝑧方向全方位スピン偏極のスピン流を用いることで、外部磁場不要な磁化反転を実証することに成功しました(図 3)。さらには印加する電流量によって反転信号の大きさを変えられることも分かりました(図 3)。これは、RuO2 の交換バイアス(※9)によって隣接磁性層の垂直磁化が多磁区化(※10)し、それによって部分的に磁化反転が生じ、多値(アナログ)的出力となるためです。このような特性を活用することで、近年注目を集めている人間の脳を模倣したニューロモルフィックコンピューティング(※11)への応用展開が期待できます。

本研究成果では、スピントロニクスにおいて重要なスピン流生成の新奇現象を実験的に発見したことに加え、それを活用することで、不揮発磁気メモリなどの動作原理にとって重要な磁化反転現象を効率的に行えることを実証しました。本成果を基軸として、今後高性能な磁気デバイス開発がさらに盛んに行われていくことが期待されます。

図1 (a)重金属中のスピン軌道相互作用で生成されるスピン流(従来研究)、(b) RuO2中の反強磁性磁気秩序によって生成されるスピン流(本研究)誘起の隣接磁性層の磁化反転の概要図。重金属の場合はスピン流のスピン偏極方向に制約があるため、外部磁場が無いと磁化反転しない。一方、 RuO2を用いた場合では全方位スピン偏極が可能なスピン流を生成できるため、外部磁場によるアシスト不要で磁化反転ができる。

図2 (a) RuO2(101)面で生成されるスピン流を隣接強磁性体NiFe 合金の強磁性共鳴で検出している様子。[101]方向を基準とした面内の結晶方位角に応じて電流印加方向を定義している。(b)𝑥-、𝑦-、𝑧-スピン偏極スピン流生成効率の結晶方位角依存性。電流印加方向を𝑥方向と定義する場合、従来のスピンホール効果では𝑦-偏極成分しか生成できないが(青点線のオフセットに相当)、 RuO2 が独自に持つスピンスプリッター効果によって、結晶方位角に対して異方的な𝑥-、𝑦-、𝑧-スピン偏極の全成分スピン流が生成可能。

図3 (a) RuO2(101)/Ru/Co/Pt 多層膜系におけるCo 層の磁化反転の様子。RuO2 がスピンスプリッター効果によって生成する𝑧-スピン偏極スピン流によって、外部磁場不要で磁化反転が可能。(b)ホール抵抗のRuO2 電流密度依存性。印加電流量に応じて、ホール抵抗値が変化しており、部分的な磁化反転が誘起される。

【論文情報】

Title: Observation of spin-splitter torque in collinear antiferromagnetic RuO2
Authors: Shutaro Karube, Takahiro Tanaka, Daichi Sugawara, Naohiro Kadoguchi, Makoto Kohda and Junsaku Nitta
Journal: Physical Review Letters 129, 137201 (2022)
DOI: 10.1103/PhysRevLett.129.137201
URL: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.129.137201

用語説明

※1 反強磁性、ネールベクトル

隣り合う磁気モーメントが互いに反平行に結合している磁性を反強磁性と呼ぶ。反対向きの磁気モーメントを引き算し、2で割ったベクトルは、反強磁性磁気秩序の向きを定義するネールベクトルと呼ばれる。

※2 スピン流

アップスピン、ダウンスピン電子らが互いに反対方向に進行する際に、正味の電荷の流れを打ち消し、スピンのみの流れが誘起されている状態を指す。

※3 スピンホール効果

白金などの重金属に電流を流すと、電流と垂直方向にスピン流が生じる現象。一般的なホール効果で起こる横方向電流と、生成スピン流方向が似ていることからこのように呼ばれる。

※4 垂直磁化

磁性体薄膜では、磁化の向きやすい方向が膜面内と膜垂直方向の2種類あり、垂直方向に磁化している状態を指す。

※5 スピントロニクス

20世紀にトランジスタなどが開発されたエレクトロニクスでは、電子や正孔の持つ「電荷」の性質を利用して優れた発明が成されてきた。一方、スピントロニクスは、「電荷」の性質に加え、電子の磁性に相当する「スピン」も積極的に利用する学術領域である。

※6 スピン軌道相互作用

電子における軌道角運動量と、スピン角運動量の結合状態。量子相対論的な効果の一種。

※7 ルチル結晶構造

TiO2などの一般的な酸化物に見られる結晶構造。

※8 スピンスプリットバンド構造、スピンスプリッター効果

波数空間において、アップスピン、ダウンスピンの縮退が解けているような電子バンド構造をスピンスプリットバンド構造と言う。 特にネールベクトル方向に依存したスピン偏極バンド構造を取る。またスピンスプリッター効果は、本バンド構造を通じて、ネールベクトル方向に依存したスピン偏極スピン流を生成する現象を指す。

※9 交換バイアス

反強磁性体/強磁性体(磁性体)接合において、接合界面付近の強磁性体磁化に対して、反強磁性体が有限な有効磁場を与える現象。

※10 多磁区化

静磁エネルギーなどの要請によって、磁性体中の磁化が場所によって向きを変える現象。

※11 ニューロモルフィックコンピューティング

人間の脳の中における、ニューロンやシナプスなどの発火現象によって行われる曖昧かつ大規模な演算を、デバイスによって実現しようとする試み。多値的出力などによってスピントロニクスでも実証されつつある。